皆さんは自分が癌に侵されたらと
考えた事はありますか。
まあ自分が関わる事はないだろうと
大多数の人は、思うでしょう。
私もその大多数のうちの一人でした。
経験しないとわからない癌という病気。
幸いにも完治した私の闘病記に耳を
傾けて頂ければ幸いです。
自覚症状~がん発覚
会社に入ると、頻繁な飲み会や飲み好きな上司との付き合いで
不規則な生活になり、日々の食事も外食がほとんどで
自分の好む肉類や脂っこいガッツリした物へと
変わって行きました。
まずお通じが2日に1回に変わりました。
あまり気にせず、同じ食生活を続けていた所
そのうち食後の胸やけがひどくなってきました。
少し心配になり近所の町医者で診察を受けた所
軽い胃潰瘍と診断され薬をもらってきたのですが
数週間経過しても全く改善されず
胸やけも悪化して食欲も減退してきたので
別の少し大きな病院で診察を受ける事にしました。
診察の結果は、入院治療が必要と言われました。
医師から言われたのは貧血がひどく、
輸血しないと危険であるとの事でした。
胸やけなのに貧血って・・・
どういう事なのかと思いましたが
便に血液が混じって真っ黒な状態で
内臓のどこかで出血しているとの事でした。
それから半月で数回の輸血を行い、
体調がよくなったところで本格的な検査を実施しました。
健康診断で実施するバリウムを飲むⅩ線検査です。
画像出典:aogiri.org
検査の結果、大腸の一部に大きな影が見つかり
この影が腸内をふさいでいる為、
食べ物の流れが悪くなり詰まって便秘や胸やけを
引き起こしている事がわかりました。
より詳細な検査が必要となり
さらに大きな病院を紹介してもらい転院。
画像出典:plat-clinic.com
そこで内視鏡検査を受け、腫瘍の一部を採取し
悪性腫瘍(大腸癌)による腸閉塞と判明。
リンパ節まで転移していたので
切除手術をする事となりました。
この時、医師から癌が別の臓器に転移している可能性もあるので
5年生存率60%と宣告を受けました。
部位やステージにより、生存率は変わりますが
図を見た限りでは、ステージはⅢbだったようです。
画像出典:medical.nikkeibp.co.jp
ショックで、死後残された家族の事を考えたりして
不眠症になりましたが、まず手術を受けるため
前を向いて生き今を大切に生きていこうと
気持ちを切り替える事にしました。
手術は大腸の腫瘍箇所を含めた半分を切除して
小腸と接合するという方法でした。
便が多少ゆるくなるそうですが、大腸は半分でも
生活に支障はほぼないそうです。
そして手術当日・・・
手術前に麻酔を打ち、意識がなくなり
目が覚めた時は、尿道に管を挿入され
点滴で生きている自分がいました。
今でも忘れられないのが、
手術後2日目に初めて口にしたスープ
あまりの美味しさに感激。
今後こんな体験は2度とない
いや2度と味わいたくないと思いました。
手術は無事成功。
とりあえず一歩前進です。
手術後の制限・約束事項
手術後の病院の食事は
当然の事ながら栄養士が設定した
薄味で塩分控えめ、バランスがとれた3食。
おかげで1か月後の退院時には88㎏だった体重は
65㎏になり別人のような体型になり
まさに運動なしのダイエットでした。
画像出典:photolibraly.jp
当時の血圧は上155下95と危険水域レベルで
高脂血症も併発しており、退院後は
抗がん剤と血圧の薬など薬漬けの日々を送る事になりました。
また栄養士との面接もあり厳しい食事制限がありました。
塩分制限
塩分は1日7g、これは厳しい。
ラーメンの場合、普通に食べてスープを飲んでいると
1食で10gを突破します。
食べ物を買う時は成分表示のNa ナトリウムの量を見るようになり
塩分少な目の商品を探す事が、あたりまえになりました。
画像出典:minamitohoku.or.jp
梅干し、味噌汁、お新香など普通に食べたい物を
我慢する生活になりました。
糖分制限
セブンイレブンのスイーツや
大福などの和菓子を結構食べていたのですがこちらも自粛。
手術前、結構太っていたので糖尿病予備軍に所属しており
メタボへ向かってまっしぐらという感じでしたので
良かったと思うようになりました。
画像出典:nikkei.com
やめてからしばらくは、甘いものが食べたくて
腹いっぱいスイーツを食べる夢を頻繁に見ており
禁断症状に近い感じでした。
盲点だったのは果物。
果物には果糖があるので食べ過ぎは禁物。
当然、缶チューハイなどのアルコールもしばらく禁止。
塩分も考慮すると、食べる物あるの?
何が楽しくて生きているんだろうと感じでした。
適度な運動
ジムに通ったりもできないので
1日60分程度のウォーキングを目標にしました。
一駅前で降りて、歩く時間を増やしたり
エスカレータやエレベータは極力使わずに
階段を利用する事で歩く時間を増やしました。
初めは、階段を上がるのがきつくて息切れが半端なく
今までどんだけ楽してきたのかと痛感させられました。
体重が軽くなったせいかすぐに慣れて2,3階程度の階段なら
息切れせずに登れるようになりました。
困ったのはやせたせいで、太っていた時に着ていた
スーツやズボンがブカブカになったため、
着れなくなり新しい物を買わなければいけなくなった事です。
ただ太っていた時より、洋服選びに熱が入って
おしゃれになったのは間違いないようです。
その後、完治まで
1ヶ月後には、体重62㎏血圧は上130下80と標準値となりました。
体も軽く、自然と階段を使うようになり生活習慣もかなり変化しました。
心配していた抗がん剤の副作用、
・髪の毛が抜ける
・気持ち悪くなる
・食欲がなくなる
などの症状は現れず、5年を乗り越える事が次の目標となりました。
画像出典:hoken-connect.jp
食事は野菜中心、薄味で素材の味を楽しむようになり
この食材ってこんな味だったんだという
新しい発見もあり世界が変わりました。
不思議な事に脂っこい料理や濃い味の料理などは、
あまり食べれないようになりました。
その後、定期的な通院で内視鏡検査等や栄養士の面接を続け
7年後、医師から完治の宣言を受け
どうやら生き続ける事は許可されました。
現在、10年以上が経過しましたが
特段症状は現れていないようです。
全体的に結構な支払いをした感があります。
後で、国から半分以上戻っては来るのですが、
高額な入院・手術・通院費用を考えると掛捨てと割り切り
ガン保険に入っていた方がいいかもしれません。
お釣りがくるほどの保障がある保険もありますから。
私の闘病記が、似たような環境の人のお役にたてれば幸いです。