早見優の若い頃は主に海外生活!意外にも生まれは?アイドル時代の活躍も調査!

スポンサードリンク

1980年代にアイドルとして輝いていた早見優さん。
現在もお綺麗ですが、若い頃を調べてみたくなりました。


出典:https://www.business-plus.net/special/1803/sp0104.html

スポンサードリンク

早見優の若い頃、生い立ちから日本に戻るまで

まず生い立ちから振り返って見ましょう。

生まれた所が意外すぎる

早見優さん、英語がペラペラですが生まれは何と静岡県熱海市です。

彼女の父は、ジャズシンガーとして生計を立てていました。
早見さんが生まれた時は、静岡県沼津市で中華レストランを経営していました。

アイドル時代に「ハワイ生まれですよね」とよく言われていたので意外でした。
私の記憶では、当時この話題が出なかった事が事務所に口止めされていたからなのかは謎です。

グアムに移住

そして3歳の時に両親が離婚して、祖母と母と私でグアムに移住しました。
何故グアムだったのかは彼女の祖母が原因だったようです。


出典:https://www.wendy-net.com/nw/person/346.html

祖母は日本人ながらドイツ生まれのイギリス育ちという経歴。
イギリスで、明治大学の教授だった祖父と出会い日本に帰国しました。
そして在日アメリカ大使の秘書として仕事をしていたようです。

その時に、グアムに新しくオープンしたホテルのマネジャーをしてみないかと声を掛けられ承諾しました。
それを機に、グアムに引っ越すことになったのです。
当時ハーフタレントなどいなかった時代に海外生活なんて、羨ましい限りです。

ハワイに移住

次の居住地ハワイには7歳の時、移住しました。
今度の移住の原因は母でした。


出典:https://www.wendy-net.com/nw/person/346.html

若い時にモデルだった母は、日本人で初めてパリコレに出演した経歴の持ち主です。
そしてグアムに移ってからは、英語を勉強するために地元の大学に入り直したほどの勉強家でした。
そして早見さんが7歳の時にツアー会社を起業します。

起業を機にハワイへ引っ越し14歳まで生活拠点になりました。
当時グアムよりハワイの方が、数段観光地としての需要が高いと判断したのでしょうか。
早見さん本人が「熱海で生まれてグアムに行き、そのあとハワイなんて、新婚旅行のルートみたいですよね(笑)」と語っています。

スカウトされ日本へ

14歳になろうしていたある日、ハワイ三越のエレベーターでスカウトされました


出典:https://www.wendy-net.com/nw/person/346.html

早見さんは、ピアスの穴を子供の頃から開けたくてしょうがありませんでした。
母から「ピアスの穴を開けるのは14歳になったてからよ。」言われていました。

14歳になる直前、ついに母の許可がおり念願のピアスの穴を開けに行きました。
その時、母に「ピアスの穴を開けると運命が変わるのよ」と言われた事が現実になったのです。
なんと、穴を開けた帰りのエレベーターの中でスカウトされたのです。
こんな奇跡のような出来事が実際起こるんですね。

そして家族もアイドルになる事を容認してくれて、単身日本に帰国することになりました。
日本では、当初は叔母(母の妹)の家に住む事になりました。

スポンサードリンク

早見優の若い頃、アイドル時代初期

そしてアイドル生活が始まります。

デビュー曲

帰国し、サンミュージックプロダクションと契約します。
帰国後アメリカンスクールに通っていましたが、デビュー後は芸能人学校で有名な「堀越学園」に転入します。
記念すべきデビュー曲は、1982年4月21日発売の「急いで!初恋」でした。

デビュー曲はオリコン最高順位:36位、総売上:6.3万枚のセールスでした。
小麦色の肌が初々しい、8時だよ全員集合の懐かしい映像です。

一応日本語は話せていたのですが、当時のマネジャーさんによるとちょっとヘンな日本語だったようです。
意味がわからず
・滑舌がいい人→カツレツがいい人→おいしそうな人?
・波浪注意報→ハロー注意報→楽しそうな注意報?
など、今のバラエティー番組で受けそうなネタを連発していたようです。

同期には「花の82年組」と言われた
・松本伊代
・堀ちえみ
・小泉今日子
・中森明菜
・石川秀美

など有名人が多かった時代でした。

「夏色のナンシー」で大ブレイク

その後、徐々に最高順位を上昇させ認知度が高くなっていきます。

曲名 発売日 オリコン最高順位 総売上
Love Light 1982.7.21 38位 5.8万枚
アンサーソングは哀愁 1982.10.19 29位 4.7万枚
あの頃にもう一度 1983.1.21 27位 4.5万枚
夏色のナンシー 1983.4.1 7位 26.8万枚

そして1983年コカ・コーラのCMに使われた「夏色のナンシー」が大ヒット曲になりブレイクしました。

「恋かなー」のフレーズは今でも記憶に残っています
この曲が早見優最大のヒット曲になりました。

スポンサードリンク

早見優の若い頃、アイドル時代ブレイク後

高校卒業後は、得意の英語を生かせる上智大学に進学します。
31枚のシングル曲を発売していますが、ブレイク後の代表曲をいくつか見てみましょう。

渚のライオン

英語の歌詞がかなり入れ込まれたポップな1曲です。
彼氏をライオンと表現し、誘惑するような歌詞になっています。
三浦徳子、筒美京平の最強タッグがしばらく続きます。
・発売日:1983.7.1
・オリコン最高順位:10位
・総売上:16.7万枚

ラッキィ・リップス

本人が出演した資生堂「バスボン ヘアコロンシャンプー・リンス」のCMソング。
・発売日:1983.9.21
・オリコン最高順位:10位
・総売上:16.4万枚

誘惑光線・クラッ!

ちょっと大胆でセクシーな女の子と彼氏の駆け引きが、楽しめる1曲です。
昭和の香りもプンプン匂います。
・発売日:1984.3.31
・オリコン最高順位:7位
・総売上:15.5万枚

Passion

本人主演の映画『キッズ』の主題歌で、作詞・作曲を中原めいこが担当したアッパーチューン曲です。
筒美京平のエッセンスを上手に取り入れ、ポップスとロックのバランスが絶妙な1曲に仕上がっています。
・発売日:1985.8.1
・オリコン最高順位:10位
・総売上:11.7万枚

ハートは戻らない

「Get out of my life」のカバー曲で、久々に10万枚越えのヒット曲になりました。
またポップロックからユーロビートにチャレンジし新たな可能性を発見できた1曲と言われています。
・発売日:1987.3.21
・オリコン最高順位:15位
・総売上:13.2万枚

司会が島田紳助と和田アキ子という豪華な組み合わせに驚きです。

早見優の若い頃まとめ

早見優の若い頃に焦点を当てて
・幼少期
・アイドル時代初期
・アイドル時代の代表曲
について紹介しました。

若い頃の活躍が素晴らしく昭和を代表するアイドルと言えるのではないでしょうか。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。

スポンサードリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする